篠山市は、旧1町18カ村からなります。それぞれのまちは、それぞれの歴史を持ち、特性を備えています。篠山市全体の特性といえるのかもしれませんが、いずれのまちも強い地域のつながり、コミュニティがあります。そんななかにあっても篠山市の南部の中山間地域にあり、最も人口の少ない地域である後川地区は格別というのが衆目の一致するところです。他地域とはひと味違う地勢と気候が関係するのかもしれません。
古坂峠(後川峠)への登口に拡がる茶畑
後川地区は篠山市の南部に位置し、篠山盆地から峠を隔てた東西に細長く延びた谷間の地域です。標高は篠山盆地より約100メートル高いところにあります。「後川」と書いて「しつかわ」と読みます。丹波篠山地名考によれば「武庫川の支流、羽束川の上流に位置する後川の土地は、周囲の山々に囲まれた後に、川が流れているので、『尻川』というべきところを『シッ川』といい、後の字をあてたという説があります。また、羽束川の最上流に位置するため、天王(豊能郡能勢町)に対して、尻川になるので、尻を後にかえて、『後川』になった」ともいわれています。
一覧奈良時代から 東大寺荘園として 奈良時代には余戸郷と呼ばれ最も古い奈良東大寺の荘園のひとつとしてありました。また、伝説としては平安時代末期、平家の落人が篭坊温泉で身を隠したともいわれています。 明治23年(1899)の町村制施行以降、一時的に日置村の分村となった時期はありましたが、昭和30年(1955)合併による城東村誕生まで後川村として続き、村の中央には後川小学校、後川中学校がありました。 今でこそトンネルによって盆地とつながっていますが、以前は高い古坂峠によって隔てられ、豪雪の折には、陸の孤島と化したとの記録もあります。 この地勢と厳しい自然環境は、優れた地域特性を生んでいます。それは地域の結束力、コミュニティの強さに表れています。もとからコミュニティのつながりが強いとされる篠山にあっても後川地区は際立っているのは衆目の一致するところです。村の人たちの性格は総じてまじめで温厚です。地域全体に覆い被さる天災や災害あるいは条件的に不利なことに対処するには村全体としての共助が求められ、その結果として優れたコミュニティを生んでいるのかもしれません。 かつて豪雪の日は学校で合宿 悲劇の学校の全焼から悲願のトンネルの開通まで 篠山町百年史には後川の雪にまつわるエピソードがいくつか載せられています。 2018年冬 雪に覆われた後川地区
兵庫県南部地方に位置する篠山盆地は多少の雪は降るが、全体に見て雪は少ないといえます。そんななかにあって標高の高い山間地域の後川は、盆地中央部より一段多く雪が降ります。雪が多かった1960年代以前には雪害がしばしば観測されていました。後川地区の生徒が古坂峠をバスで城東中学校へ通学していた頃、大雪が降ると学校で何日も合宿することがありました。記録には1963年1月、1968年2月、1969年3月の3回ありました。1970年6月城東トンネルが開通することで交通の難所が解消し、その後、このようなことはおこらなくなりました。 そもそもトンネルがない状態で、後川中学校でなく城東中学校へと通学しなければならなかったのは、後川地区が味わった悲劇に原因がありました。 1961年(昭和36年)2月28日夜、木造2階建て後川小学校と後川中学校が全焼したのです。この際、2階でおこなわれていた婦人学級で多くのものが飛び降り、10数名が重軽傷を負い、また、飛び火で200メートル離れた民家も全焼するという後川村史に残る大事件となったのです。後川小学校は翌年鉄筋2階建で再建されましたが、中学校は急きょ城東中学校に統合されました。 かつての後川小学校跡地(左)とその近くには旧後川村役場があり、往時の面影を残す
もうひとつは雪害というより珍しい記録として残るエピソードです。僅か2表で村会議員に当選 1933年(昭和8年)3月11日、当時後川村で村会議員の選挙がおこなわれ、得票数『2票で当選』という珍しい記録があります。おそらく史上最小の得票当選だろうと記されています。 当日は猛吹雪の日で棄権者がなんと約5割、酒造出稼ぎ者56人も一人も投票に帰ってこなかったといいます。 全村の全有権者数221名(25歳以上の男子)うち投票数118、議員定数12名。最高得票は18票、2票が4名、1票が5名もあり、2票4名の内2人が当選となりました。 ちなみに4年後の選挙も暴風雨となり、得票数4票で当選になっています。 1933年3月3日は昭和三陸沖地震が起き、東北で大津波による大災害が起きています。年が明けた翌年1月には30年ぶりの大雪で後川では約1メートルの積雪で、村は全くの孤立状態になりました。 先に述べた後川の人たちによるコミュニティの強さは、厳しい自然にあらがうことと無関係ではなさそうです。かつて篠山町の時代に中心部から遠く離れた最も小さな寒村から名町長を生んだのもこの地域ならではのことかもしれません。 日本全国で消滅可能性都市が現実味を帯びる中、過疎と高齢化が進む小さな地域が地域コミュニティを守って行く基礎体力となることでしょう。
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